上急バス

概要

上信急行電鉄の本業・鉄道事業と双璧を成す運輸事業が、鉄道沿線に広く展開しているバス事業である。東京23区北西部と埼玉県中央部・西部・北部、群馬県西毛のほぼ全てと北毛・中毛の一部、長野県東信・北信の各地方・地域を主な営業地域としており、発足以来長年に亘り上信急行電鉄直属のバス部門として存続していたが、現在は営業種別・地域毎に分社化しており、バス専業となっている。
尚、当項では分社化し存在する組織を区別せず「上急バス」と一括して記してゆく。

営業種別

一般乗合路線を主力に、高速乗合路線と空港連絡乗合路線、特定輸送(企業・学校等の送迎)と貸切(観光バス)の5種別にて構成している。

一般乗合路線

前述の通り上急バスの主力で、鉄道線の培養を主目的として沿線各地に路線網を有する。営業地域は上信急行電鉄と佐久鉄道の沿線を中心に、JR赤羽・京浜東北・高崎・武蔵野・川越・八高・信越・上越・吾妻・両毛の各線と西武池袋線の、それぞれの駅へも路線を延ばしている。
長野県内においては軽井沢周辺にて西武高原バスと、上田周辺にて上田交通(上田電鉄・上電バスその他)と、長野市内にてアルピコ交通(川中島バス)と、それぞれ紳士協定を締結しているようであり、特に軽井沢周辺には後述する高速乗合路線を含めて上急バスの路線は皆無である。

高速乗合路線

高速自動車道の開通・延伸に合わせ、鉄道線の中・長距離輸送の補完と他の交通機関からの防衛を主目的に展開した営業種別で、東京(池袋)と長野を拠点とした路線網を有する。
その概略図を以下に図示する。

高速バス概略図

大半の路線は昼行便のみの運行だが、池袋‐富山線(池袋駅西口〜富山駅前)は昼行便・夜行便双方の運行があり、長野‐京阪神線(湯田中駅〜神戸三宮バスターミナル)は夜行便のみの運行である。他社との共同運行は池袋‐富山線と長野‐富山線(長野駅前〜富山駅前)にて富山地方鉄道バスと、池袋‐佐久線(池袋駅西口〜中込・臼田)にて千曲バスと、長野‐新潟線(長野駅前〜万代シティ・バスセンター)にて新潟交通と、長野‐京阪神線にて南海バスと、それぞれ実施している。
他の大手私鉄系高速バスに較べ路線規模が小さいが、これは前述の当営業種別の主目的から逸脱しない範囲内で営業する現れである。

空港連絡乗合路線

1980年代後半の海外旅行ブームに乗じて展開した営業種別で、鉄道沿線と羽田・成田の各空港を結ぶ路線網を有する。
その概略図を以下に図示する。

空港連絡バス概略図

この営業種別における旗頭は大宮駅西口と成田空港を結ぶ「ONライナー」で、東武・西武・国際興業・京成・千葉交通の各社と共同運行を実施している。他の路線においても大宮‐羽田空港線にて西武・京急・国際興業・東京空港交通と、浦和‐羽田空港線・ふじみ野‐羽田空港線にて京急・東京空港交通と、浦和‐成田空港線・ふじみ野‐成田空港線にて東京空港交通と、それぞれ共同運行を実施している。

特定輸送・貸切

特定輸送は1970年代後半以降、鉄道沿線からやや離れた地域に各種企業・学校が進出・立地し、相互間を送迎する目的により開始した営業種別である。その大多数が埼玉県内にて展開しており、上信急行に対する信用・信頼の一端を窺う事が出来る。
貸切は沿線住民の小集団による観光・慰安旅行、学校による遠足等に対応するもので、小規模ながら一定の需要がある。

歴史・沿革

上信急行電鉄のバス事業(現在の上急バス各社)は、1930年代前半に東上鉄道が沿線にて直営の路線バスを開業した事に端を発す。

戦前―黎明期・統合と拡充

東上鉄道はその後、沿線に点在したバス事業者の買収を繰り返し、その規模を拡大した。一方、東京大宮電気鉄道は1930年代後半に中山道乗合自動車(1932年設立:王子乗合自動車商会の路線を継承。王子〜十条〜金沢橋〜仲宿付近〜戸田〜大宮その他)の買収を皮切りに、ワラビ乗合(浦和〜蕨〜戸田・笹目)、美谷本乗合(浦和〜美女木その他)、与野自動車(与野町周辺)等を買収し、東上鉄道と同様にその規模を拡大した。
1940年の上信急行電鉄発足と同時に被統合会社の上信電気鉄道、佐久鉄道のバス部門をも併呑し、直営のバス部門が発足した。1941年には上急が東浦自動車(1932年設立:浦和近辺にて路線を展開)を傘下に収め、更に1943年に東京大宮電気鉄道(前述)と千曲自動車(上田電鉄・丸子自動車・東信自動車を併呑)を統合し、現在の上急バスの原型が出来上がった。

戦後―復興から黄金期へ

戦時統合により上信急行電鉄のバス部門が発足し、中でも長野県東信地方のバス路線をほぼ独占状態としたが、1948年に一部が上田電鉄と千曲自動車に分離した。
第二次世界大戦による燃料事情の悪化と稼働可能車両数の少なさ故に様々な苦心をしていたが、1950年前後頃になるとその辺の事情が戦前並みの水準に復した。その後、埼玉県内を主に上急鉄道線と他の鉄道路線で構成する路線網の細部を補完する中距離路線(都内沿線と都心部を結ぶ路線。他社局との共同運行)、長距離路線(埼玉県内沿線と都心部若しくは県内各都市を結ぶ路線。一部は他社と共同運行)を開設し、バス事業は黄金時代を迎えた。その傾向は1965年頃まで続き、路線新設と乗客の増加を繰り返した。
1960年代初頭以降、池袋・巣鴨それぞれのターミナル駅から15〜20qの沿線にて住宅団地・工場等が続々と立地し、それに対応すべく新たな路線開設を進めていたが、一方で車掌不足の顕在化により車掌乗務省略、所謂ワンマン運転の実施を1963年以降推し進めた。尚、群馬・長野県内に観光輸送を目的とした路線を開設したのもこの時期である。

環境の変化と合理化

発足以来、事業規模を拡大し続けて来た上信急行電鉄のバス部門は、1967年の長野電鉄統合により更にその規模を拡大したが、地方・地域による過密・過疎と自家用車普及の進行を受け、大幅な変革をもたらした。都市部においては道路事情の悪化により定時運行の保持が難しくなり、中・長距離路線の系統分割・路線短縮を実施の上で前述の住宅団地・工場等の鉄道沿線への進出に合わせた輸送体系の強化へと、方針を転換した。山村部においては不採算路線の廃止を推進した。
尚、一連の方針と歩調を合わせ、前述の車掌不足と都市部での路線新設への対応策として(1963年から少しずつ進めていた)ワンマン運転を1968年頃から急速に推し進め、1970年代後半にはほぼ全ての路線に及んだ。山間部においては保安面の確保により車掌乗務が続いたものの、1984年に一般乗合路線全ての車掌省略化が完了した。

高速バスの台頭

1970年代末から1980年代後半にかけて、上信急行電鉄沿線に高速道路(上信越自動車道)の建設施工命令が国より下された。そんな折、戦前より因縁のある西武鉄道(西武バス)が1985年に全線開通したばかりの関越自動車道を経由する高速バス路線を開設、その成功は全国的な高速バス開設ブームの火付け役となった。
前述の上信越道建設決定を脅威と捉えつつ、西武高速バスの成功を横目に見た上信急行電鉄は、手始めに友好提携関係を結ぶ富山地方鉄道と共同で1987年に池袋‐富山線を開設した(当時は関越〜長岡JCT〜北陸道経由で、現在は上信越道経由)。高速乗合路線種別の始まりである。その後、1991年には「鉄道線の中・長距離輸送の補完と他の交通機関からの防衛」なる、高速乗合路線種別を設定した本来の目的に則った初の路線である池袋‐中込・小諸線を開設した(小諸発着便は現存せず)。
1989年には空港連絡乗合路線なる新たな営業種別を設定の上、大宮‐成田空港線を新設した。高速乗合と空港連絡乗合を併せた所謂「高速バス」は利用者から好評を得て更に新たな路線を開設し、一部路線の改廃と共同運行事業者の変更を実施しつつも現在に至るまで堅調に推移している。

分社化と現況

止まらぬどころか、より一層進みゆく地方部における自家用車社会化は、バス事業にとって非常に厳しい環境となり、各地方・地域により営業状況等が異なるものを一律の体系で運営する方式には限界が見えて来た。1995年にバス事業を鉄道本体から切り離し、統括組織として上急バスを設立した上で営業種別・地域毎に組織を分立・移管し傘下に収める体系、所謂分社化を実施した。
上急バスは時代毎の潮流と共に変化をしつつ事業を展開し、現在に至るまでその歩みを続けて来ている。近年はより一層地域に根ざしたコミュニティバスの運行、車両の代替周期の短縮と乗務員の接遇向上、上屋付停留所の整備等による快適な乗車環境の提供に重点を置いている。

車両

従来より一貫して日産ディーゼル製と日野自動車製の車両を投入して来た(但し一部営業所にて、いすゞ自動車製と三菱ふそう製の車両を少数投入した実績あり)が、2010年のUDトラックス(←日産ディーゼル)バス製造撤退を受け、同年からは特定輸送の一部を除き一般乗合路線へは三菱ふそう製の、それ以外の営業種別へは日野製の車両を、それぞれ新製投入している。

上急バス一般路線用
上:2006年度新製投入車両:日産ディーゼルPKG‐RA274KAN・スペースランナーRA(練馬、志村、新座)
中:2008年度新製投入車両:日野BJG-HU8JLFP・ブルーリボンシティハイブリッド(練馬、志村、新座)
下:2014年度新製投入車両:三菱ふそうQKG-MP38FKF・新エアロスター(練馬、志村、新座)

上急バスUD
2000年度新製投入車両:日産ディーゼルKL‐RA552RBN・スペースウィング(高速・練馬)

車体塗装は一般乗合用車両が鉄道線一般型車両に準じたクリーム色と緑青色に赤色の帯を加えたもので、高速乗合と空港連絡乗合、貸切が銀白色地に緑青色・臙脂色・灰青銅色の曲線模様の帯を入れたものである。特定輸送(企業・学校等の送迎)は契約先により塗装が異なる。

おわりに

以上、上急バスについて延々と述べて来た。少子高齢化社会の中でその前途は厳しいと存ずるが、従来より築き上げた地域との連携、広域に亘る路線網を活かしつつ、より一層の質的向上を推し進めている。
何はともあれ、今後の上急バスに幸あれ。