上信急行電鉄に纏わる物語

垂れ流し式便所

昭和40年代後半。
長野方面から池袋へ向かう古色蒼然とした急行電車内での、とある家族連れの会話。

便所から戻って来た、小学生ぐらいの男の子が嬉々とした表情を浮かべ、開口一番「便器に穴が開いてて、地面の砂利が流れて見えたよ!」
すかさず母親がたしなめる。
「シーッ!そんな事大声で言わないの。はしたない。」
父親は黙ったまま苦笑する。

僅かな沈黙の後、男の子の祖父らしき初老の男が豪快に笑いながら、大きな声で説明した。
「そうだ!電車の便所には穴が開いていて、線路の砂利敷の辺りにウンコやションベンを垂れ流しているんだ!」と。
「でも、それじゃキタナイよね?」と、男の子が困惑を込めてつぶやく。
「そうだ!じいちゃんよぉ、踏切で電車が通るのを待ってたらな、バシャ〜ッ!って、水しぶきを浴びせられた事があるんだ。」と、爺さん破顔一笑、身振り手振りを交える。
男の子、驚きの表情で絶句。



昔の電車・列車の便所は原始的な垂れ流し式が多く、上信急行でも例外ではなかった。
しかし、住宅等の建築物の便所が都市部を中心に汲み取り式から水洗式になり、世間の衛生観念が向上するに連れ、列車からの糞尿垂れ流しを問題視する声が上がり、週刊誌に取り上げられるとその声は更に大きくなった。

実際、上信急行電鉄でも住宅が密集している都市部の沿線住民から苦情が上がるようになり、1960年代半ば頃から対応に乗り出していた。
同様の悩みを抱えていた(車両数の多さでは比べ物にならない)国鉄の様子を見つつ、1970年以降に製造する便所付き車両には「循環式汚物処理装置(洗浄水に脱臭・消毒液を混合し、汚物と洗浄水をフィルターで分離し、洗浄水を2〜3日程度循環使用する方式)」を装備し、従来の車両においても順次同装置を取り付け改造しつつ地上設備の整備を同時に進め、製造後15年を越える車両に関しては手戻り工事になるので、一部を除き便所の撤去及び車両自体の廃車を実施した。

それにより、急行(現在の快速急行)への導入が決まっていた新型車両の製造計画を前倒しさせ、1960年代に更新修繕を済ませて1980年頃まで使う予定だった旧型車両を長距離急行運用から外した。
斯くして1975年に黄害対策は計画通り完了し、清潔な環境の沿線を実現した。
ちなみに国鉄(JR)では様々な要因があり進捗は遅れていたが、万難排し2001年にようやく黄害対策が完了し、日本の列車便所からの糞尿の垂れ流しが無くなった。

記:2005/03/09・加筆修正:2011/06/27