上信急行電鉄に纏わる物語

鬼石線訪問記・1982

「まもなく…熊谷、熊谷です。上信急行熊谷線、秩父鉄道線は乗換です。」

此の放送が待ち遠しかった…車内で少なからぬ乗客らが一斉に煙草を咥え、今にも火を点さんと構えていた。程なくして、あちらこちらから紫煙が上がる。
高崎線の普通列車は上野〜熊谷が禁煙区間となっており、それが解ける時に見られる風景である。我も負けじ(?)と、此処ぞとばかりに煙草を燻らす。籠原、深谷、岡部、本庄と、車窓の遠く左右に見え聳ゆる上州の山々が否が応にも、此の先の旅の気分を盛り立てると云っては大袈裟か。
斯くして、新町なる駅に降り立つ。
空腹も吹っ飛ぶ程の底冷えに身震いする。外套の襟を立て、上州名物・からっ風と対峙する。

従来、乗り潰しをする上で大手私鉄にも多々揺られたが、今回は上信急行の中でも何故か乗らずに残していた鬼石線に揺られるべく、上州の地を訪れたのである。
古びた跨線橋の階段を登り、国鉄と共用の駅舎とは反対方向へ貨物ヤードを渡り、鬼石線の乗降場へ降り立つ。象牙色地に藍色の帯を纏った2両編成の旧型電車が、冬の陽を浴び佇んでいる。先頭車両のいちばん前と後部車両のいちばん後ろの側扉のみが半開きになっている。寒さ対策のようだ。よく見ると、つっかえ棒を敷居に噛ませてある。
車内の様子を観つつ、板張りの床を静々と踏み、後部車両へと進み陣取る。今なお東上線の池袋界隈でも時折見かける片側4扉の通勤型車両だが、心なしか暖か味を覚える。
後部車両の片隅では運転士と車掌、そして駅員が談笑している。大手私鉄の中で土の香りがいちばん似合う雰囲気の上信急行だが、都会から離れた支線区であるが故か、一段と長閑である。
やや間があった後、職員達は各々の持ち場へと納まる。静寂に包まれた車内に空っ風の吹き荒ぶ音が響き渡り、車体が軋む。ふと高崎線の乗降場を観遣ると、特急「白山」と「とき」が立て続けにボンネット型の前頭も誇らしげに、急行「草津」が南瓜色の車体を揺らし颯爽と、そして貨物列車が焦茶色の機関車を先頭にデッキ付きの風貌も勇ましく、次々と通過し往く。

いつ発車するのかと待ちわび、焦れ始めた頃に一旦乗降場側全ての扉が開き、つっかえ棒を駅員が撤去すると喧しくベルが鳴り、12時53分にようやく電車が発車した。10分強の待ち時間がえらく長く且つ濃密に感じた。
釣掛駆動の懐かしき音色を奏で、高崎線の上り方向に沿い進むや否や、右へ急カーブを切りつつ緩々と走りゆく。2つ目の停車駅・藤岡は上信急行最大の幹線・東上線との接続地点で、閑散としていた車内が俄か且つ僅かながら賑わう。
藤岡を過ぎ、上州神田を出た辺りから神流川が左車窓に近付き、少しずつ山々が近くなって来る。停車する各駅で土埃が舞い、空っ風の強さを改めて実感する。流石に藤岡では土埃は舞わなかったが、中間の小駅の乗降場がことごとく未舗装であるが故の風景である。浄法寺は広い構内の脇に上急傍系のニッケル精錬・製鋼業を起源とする化学工場が存在する。近年は本来の鉄鋼業のノウハウを生かし、国鉄の廃車車両の解体作業をも請け負っているとの事。
年老いた車掌は停車駅毎に乗務員室へ詰め、戸扱と発車時監視と無人駅における乗車券・運賃収受を行なうのだが、駅間走行中は乗客が疎らであるからなのか?乗務員室と客室の仕切戸を開け放ち、客室内の座席で寛いでいる。旧型電車は冬模様な田畑・桑畑の土色・枯木色と青空が織り成す風景の中を淡々且つ緩々と走る。
川と山々が眼前迄迫って来た刹那、新町から約25分…ふっと視界が広がり、集落へ入ると溜息を吐くかのように終着・鬼石へ辿り着く。如何にも小ぢんまりとした終着駅と云った風情が中々好ましい。駅周辺の町並み・地形は上急上信線の下仁田駅付近に似た雰囲気である。

すっかり忘れていた空腹が、強さを増して甦って来た。少し散歩をしたら定食屋へ入る事とす。

記:2018/01/01