110〜150系と東京大宮電気鉄道の車両

上信急行大宮線の前身、東埼電気軌道は1915年に巣鴨〜一里塚の開業を皮切りに路線を延伸し、その途上の1924年に高速鉄道へ転身のうえ東京大宮電気鉄道に改称、1928年に大宮まで全通した。当項では1943年に上信急行電鉄へ統合するまでの車両群について触れてゆく。

東埼電気軌道デ1形

開業時の車両は東京市電への直通運転に対応すべく、1915年の巣鴨〜一里塚開業時に11m級・木造車体のデ1形9両を、1917年の蕨延伸時に同じく3両を、それぞれ市電規格に合わせて製造した。
1924年の高速鉄道への転身時に従来の車両をそのまま大型化したような14m級木造車両のデ20形を5両製造し、同時にデ1形のうち3両をサ1形に改造、3両を他社へ譲渡し、デ1形6両・サ1形3両・デ20形5両の体制とした。
尚、1927年の浦和延伸時にデ20形をそのまま半鋼製車体にしたスタイルのデ30形4両を増備、デ1形6両のうち2両をサ1形へ改造した。

東京大宮電気鉄道の標準型車両

1928年の大宮延伸・全通時にデ30形をシングルルーフにしたスタイルのデ40形4両を増備し、更に1931年までに同型車をサ1形の改造名目により5両増備した。
その後1933年にデ50形3両を、1935年にデ60形6両をそれぞれ増備し、同年に軌道線時代から残存していた車両(デ1形4両)を全廃した。
上信急行への統合が近付いた1939年にはデ70形9両を増備し、両運転台の14m級電動車36両体制となって1943年の統合を迎えた。

上急統合後の姿

上信急行へ統合後、継承の全車両に先ず側扉増設(2扉→3扉)改造を施し、次いで1943〜44年に改軌に伴う台車改造を施した。大改番後は110〜150系を名乗り、車体色を当時の上信急行における標準塗装であった焦茶色に改めて、ほぼ全ての車両が各種改造を受けつつ1950年代末の昇圧まで巣鴨〜大宮の運用に専念した。
尚、車両需給の関係上、一部は昇圧改造を受けて大宮線を離れ支線区へ転属し、1970年代半ば頃まで生き残った。