その小駅ダブルゴムにつき ―緑色の電車―

とある冬晴れの昼前、所用の折に揺られていた横浜の中心部と西湘方面を結ぶ、コーポレートカラーが緑色な私鉄=電鉄線の電車内にて。
高校生か大学生と思しき男子二人組の会話が、微睡みかける私の耳に入って来た。

「あれ? シンヤさあ。」
「何?」
「家引っ越したって言っていたよね?」
「おう。」
「今どこ住み?」
「大船の近く。」
「へー。どの辺? 駅何処?」
「さ、相模岡本。」
「ちょw サガミ……オカモトww ゴムゴムぢゃん! ダブルゴム!」
「ゴム言うなよショーリン![※註] しかもダブルゴムってお前……ゴム関係ねーし。」
「ごめんごめん……悪かった!」

嗚呼……オカモトとサガミでは、頭では分かっていてもやはり逸物に装着するアレを連想してしまうわな、と。

数年後。
何ら脈絡なく、ふとその時の事を思い出した。
「なんにも用事がないけれど―」は、往年の小説家が著した作品の有名な一文だが、それを少しばかり模倣すべく、当時と同じ冬晴れの天候の中を久々に件の緑色な電鉄線に揺られてみようと現地へ向かった。

緑色の電鉄線

横浜市内中南部の武蔵国とも相模国とも付かぬ丘陵地を右へ左へ、アルペンスキー・スラロームの如き足取りで進んで来た電車は、相模笠間を過ぎると程なく東海道本線と柏尾川をいちどきに跨ぎ越え、左へ急に舵を切り右車窓に真白き観音像を見上げつつ勾配をそろりそろりと降り、電鉄大船へと滑り込む。
電鉄大船は柏尾川を挟み対岸・東側のJR大船駅と並ぶ位置関係に在り、西側に観音像を抱く丘が迫る。偉容を誇る広大なJRの駅と比較するに随分塩っ辛き佇まいだが、急行停車駅であり周辺地域の交通の要衝たる拠点である。往年は柏尾川に架かる双方の駅を結ぶ橋の上にバラック建ての一杯飲み屋が軒を連ね賑わいを見せており風物詩になっていたが、街並の浄化が進み今や神代の昔の話である。
軽やかな足取りで電鉄大船を出た各駅停車は雑然とした風景を進み、柏尾川が東海道本線を潜り南南西へ流れを変える手前辺りの小駅に到着した。

相模岡本。
各駅停車のみ停まる――4両編成まで対応の相対式2面2線ホームを有し、上り線側の下り方に掘っ建て小屋然とした慎ましやかな風体の駅本屋と改札口が在り、ホームと駅本屋が構内踏切で繋がる――駅である。周辺は丘陵地を伴った住宅地が広がり、一見すると取り立てて特徴のない風景だが、雑然とした中に空の明るさと海の近さを感じ、湘南への入口といった佇まいなのは気のせいであろうか? 何だか妙に心地良い。
因みに今回の来訪に先立ち下調べをしたところによると、明治中期以降は周辺地域から岡本なる地名が消えており、この駅は大正年間の開業当初には所在自治体に合わせた玉縄を名乗っていたそうだが、戦後間もなく実施された鎌倉市を中心とした町村合併に際し当地も合併対象となり、旧来の岡本を包括した鎌倉郡もろとも消滅してしまう。それを機に、電鉄では温故知新の意を込め駅名を相模岡本に改称し、程なくして駅周辺を含む一帯に岡本の地名が復活した。
ところで、LRTというと本邦では毛が生えた程度の進化を伴った路面電車を指しがちな様子だが、長編成の列車が爆走する東海道本線の眼前において、地域輸送に徹し小刻み且つ丹念に各駅にて利用客を拾い往くこの電鉄線の姿は当にライトレールそのものであり、一方で東海道本線に張り合わんと急行電車も運転されており、実に健気である。
尚、当然ながら(?)冒頭の二人組の会話に出て来るアレに纏わる施設は近隣には存在していない模様である。

緑色の電鉄線、初めてあれこれと意識しつつ揺られ来意を大方果たしたが、このまま退散するのは少しばかり忍びない。弥勒寺、松林、茅ケ崎etc……惹かれる駅名が並んでいる。いっその事、終点の小田原まで乗り通しても良いかも。
もう少しばかり西へ進むべく、改めて下り電車に揺られてみようと再びホームに立つや否や、各駅停車が到着した。

ささやかながら幾つもの期待を抱くワタシの高揚感は、各駅停車のきびきびとした走りっぷりと共に増幅してゆく。

※当項は愛甲氏が過去に上梓した「湘南電気鉄道」から着想を得た二次創作であり、着想元の「湘南電気鉄道」とは無関係なので悪しからず。

記:2020/06/02