630系電車

割当供給:1946
譲受:1948

割当供給に至る経緯

第二次大戦中の戦災・酷使により、国鉄・私鉄共に数多の車両が損耗し、敗戦後間もなく兵士復員・生活物資買出しを主とした輸送需要の増加により、全国的に鉄道の輸送力不足著しき状況であった。
斯様な状況下で国鉄のみならず私鉄各社をも含めた復興政策が打ち出され、その一環として国鉄では都市部路線を対象に63形電車の量産を開始した。大手私鉄においても運輸省の統制の下、既存の中小型車両を地方の中小私鉄へ譲渡する事を条件に、63形電車の割当供給が実施される事となった。因みに割当対象となった各社のうち西武、京阪神急行、近畿日本(名古屋線)は諸事情により辞退し、実際には東武、東京急行(小田原線・厚木線)、名鉄、近畿日本(南海線)、山陽の各社と上信急行へ入線した。

入線時の概要

割当・入線時は他社同様20両が入線したが、上急初の全長20m級(車体長19,500mm・幅2,800mm)車両なるが故に様々な障害・制約が発生した。主要な事象・事案として、

を挙げる事が出来る。
斯様な要素を孕みながらも東上線では地上設備の改修を実施し、貴重な大型車両を使いこなした。尚、諸事情により同車両を使いこなせなかった名古屋鉄道から1948年に8両を譲り受けた。

630系割当供給・入線当初

当型式が上急に及ぼした影響は大きく、1954年新製の800系以降、現在に至るまで一般(通勤)型はもとより、その他の車両も全長20m・車体幅2.8〜2.9mが基本形となっている。
車種は2種類で、1位寄からMc(モハ)-Tc(制御車代用モハ=実質クハ)の順に組成し、Mcに制御装置・集電装置・補機類を装荷していた。車番については後述の「1950年制定の付与基準」いわゆる上信急行の大改番実施迄は国鉄における予定番号のままであった。

車体・車内設備

車体は主要寸法が前述の通り全長20m・全幅2.8m超で、側扉は片開き引戸を片側4箇所に設置している。通風器は吸出式グローブ型、所謂グロベンが屋根上に並んでいる。
車内は天井部に骨組が露出し、照明は裸電球を用い、ロングシートは板張りである等、粗末極まりなきものであった。

走り装置・主要機器

制御装置は電空カム軸式(国鉄制式CS5)である。東上鉄道から継承の車両の多くが類似の制御方式(電空カム軸式=日立PR・東芝RPC)を用いており、取扱面で大きな相違がなく現場では問題なく対応出来た。主電動機も国鉄制式(MT40。端子電圧750V・定格出力142kW・定格回転数870rpm)4個をを力行時に直並列制御する方式であり、電気制動は省略している。駆動方式は釣掛式(歯数比66/23=2.87)で、制動方式は自動空気式のAMAである。
台車は軸ばね式軸箱支持装置、板ばね式枕ばね構造(国鉄制式TR25A)で、軸間距離は2,500mmである。
補機類は電動発電機(直流出力式・3kW)と電動空気圧縮機(歯車式・990L/分)で、国鉄制式品を用いている。

改番・主な改造

1950年の大改番により630系なる正式名称を付与し、1位寄からMc(モハ630)-Tc(クハ1630)とした。

安全対策強化工事

63形電車は兎角戦時設計で粗末な作りをしており、本家・国鉄ではその粗末な構造故に桜木町事故なる火災事故が発生し、大問題となった。それを受け、上信急行では1951〜52年に車両の安全対策強化工事をほぼ全ての車両に対し実施した。
当型式においては、

上掲を主要な内容として実施した。

更新修繕

前掲の通り、一度は安全対策強化工事を施していたが、元来の粗末な作りなるが故に車体そのものの損傷が進行し、主要機器を流用しつつ車体そのものを新たに載せ替える事とし、1960〜63年に戦災復旧国電のうち20m級車両をも含めて、更新修繕を実施した。

630系更新修繕後・旧塗装

1960〜61年実施の前期更新型は走り装置・集電装置・通風器等の諸機器・構造物を流用しつつ、800系後期型の車体を新調した。但しMc車の集電装置は更新修繕前と同様1位側(運転台側)へ設置した。その際に補機類をMc車からTc車へ移設し、2両固定編成の構成とした。
1962〜63年実施の後期更新型は、更新手法については前期更新型と同様だが、車体が国鉄101系電車に範を取ったかの如き「20m級両開き4扉」なる近代的な構成へと変更した。前期更新型とは異なり、先頭車前頭部を更新修繕前の63形電車と前述の国鉄101系電車に準えたかの如く、切妻とした点が特徴である。
尚、一連の更新修繕後は800系と編成単位での混成も開始し、1960年代末には前期更新型を対象に800系同様、先頭車の一部を中間車化した4両固定編成も出現した。

630系晩年

退役・廃車

割当供給・入線以来、主に東上線系統と上信線・下仁田以東で長年に亘り活躍し、大宮線においても昇圧以降1970年代半ば迄活躍し、旅客輸送需要の激増期に多大なる貢献をして来たが、老朽化により1984年に全廃した。
尚、後期更新型は走り装置換装・冷房取付改造の上、全て1978〜79年に2000系へ編入した。