2050系電車

製造:1968〜69・72

製造に至る経緯

1960年代に入り東京都心寄の沿線で宅地化が急激に進行し輸送人員が増大していた上信急行であったが、その流れは留まる所を知らなかった。斯様な状況において、都市交通審議会答申第6号に基づく都営6号線の建設が決定した。上信急行の東京都への働きかけにより1969年の都営6号線開業と同時に相互乗入を実施する事となり、それに対応すべく設計・製造した車両が当型式である。

新製時の概要

車種型式・組成は1位寄からMc1(クモハ2150)-M2(モハ2250)-M1(モハ2350)-Mc2(クモハ2450)の4両固定編成で、Mc1・M1車には制御装置と集電装置を、M2・Mc2車には補機類を装備している。

2050系電車

車体・車内設備

基本設計は2000系を踏襲しているが、車体関連では清掃作業省略・構体重量軽減・腐食防止の観点に基づき、側戸袋窓を廃した。通風装置はモニタ屋根とファンデリアによる強制通風式とし、乗入相手の都営6000形に仕様を合わせている。尚、M2・Mc2車の1位寄貫通路には吹き抜け風を防止する為に両開き扉を備えている(幅1,200mm・自動閉扉機構付)。

走り装置・主要機器

2000系とほぼ共通であるが、走り装置は主電動機が2000系と同一ながら駆動装置を歯数比86/13=6.62に、主制御器をVMC型超多段式として加速性能の向上を図った。台車は軸箱支持方式こそ10000系以来実績のあるペデスタル・ウィングばね式を採用しているが、上信急行の一般型車両としては初めて枕ばねに空気ばね(インダイレクトマウント方式)を採用した。これは従来のコイルばね方式では満車時と空車時との積空差の抑制が困難となり、実際に同方式の2000系でその事象が発生し、当該型式よりも車体を軽量化したが為の対応策と乗り心地の改善を図る目的によるものである。

編成組替・主な改造

輸送量の増加により1972年に中間車を増備し、全編成を6両化した。組成は1位寄からMc1(クモハ2150)-M2(モハ2250)+M1´(モハ2550)-M3(モハ2650)+M1(モハ2350)-Mc2(クモハ2450)とした。M1´車はM1車と同一の構造で、M3車はM2車と車体構造は同一ながら電動空気圧縮機を2台装備する点に相違点が見られる。
更なる輸送量の増加を受け、1985年に大宮線の全列車を8両(都営非乗入列車の一部は朝夕ラッシュ時に限り10両)編成化する方策を実施し、それに対応すべく6両固定を8両固定に組み替えると同時に1988年にかけて全車へ冷房装置(従来の同装置付一般型車両と同方式)取付改造を施した。

2050系電車・冷改後

6→8両化時に組成を従来の全Mから6M2Tとし、それに伴い一部車両の改造を実施した。8両固定に組み替えた大多数の編成は一部改番を伴いつつ、1位寄からMc1(クモハ2150)-M2(モハ2250)+T1(サハ2750)+M1´(モハ2550)-M3(モハ2650)+T1´(サハ2850)+M1(モハ2350)-Mc2(クモハ2450)とした。
車両需給の関係上、新たに2両と4両の各固定編成が発生した。それらは東上線へ転属し、2000系・3000系の増結用と支線区運用に充当した。尚、冷房取付改造と同時に特別修繕工事と補機類の吊替(電動発電機:9kVA→70kVAまたは140kVA・BLMG、電動空気圧縮機:990L/分→2,130L/分)を実施した。

退役・廃車

新製以来大宮線の主力車両の一翼を担い、後年登場の7000系と共に都営乗入運用を中心に活躍した。1998年の8000系製造開始に伴う都営乗入対応解除を機に廃車が始まり、その後も脇役に回りつつ引き続き大宮線で活躍したが、老朽化により2003年に全廃した。