10000系電車

製造:1961〜63

製造に至る経緯

1953年の上信線全通・長野電鉄(当時)乗入開始以来、当該路線の列車には旧来の車両を用いていた。1950年代後半以降、同業他社・企業体において新たな設計思想に基づく優等列車が続々と登場するのを横目に見つつ、「より速く・より快適に・より安全に」お客様にご乗車頂く事の出来る有料優等列車を目指し、上信急行の旗頭たる存在とすべく設計・製造した特急列車専用車両である。尚、当型式の登場に際しては、路線が並行する国鉄信越本線の輸送改善(キハ82系・キハ57系の登場)を想定・意識したであろうと思われる。

10000系電車・クモハ10000

新製時の概要

車両の組成は1位寄からMc1(クモハ100X1:X=編成番号。第1編成ならXが1となる。以下同じ。)-M2(モハ100X2)-M2´(モハ100X3)-Mc3(クモハ100X4)+Mc3(クモハ100X5)-M2´(モハ100X6)-Tsbc(クロシ100X7)の4両+3両編成である。M2´-Mc3のユニットは所定とは逆の向きにも組成出来る構造となっており、Mc3-M2´を背中合わせにした4両にも組成出来る。
また、四季を通じて完全な車内室温調節を行う、上急では初めて冷房を装備した車両である。

車体・車内設備

800系中期型で初採用した準張郭構造の全金属製で、車体長20000mm・車体幅は車両限界一杯に迫る2900mmである。フル組成で先頭に出るMc1車とTsbc車は前頭部が丸味を帯びた非貫通の流線型で、床面を客室より400mm高くした位置に運転台を設置し、高速運転に取りかかる乗務員の安全確保を考慮している。一方、フル組成では編成中間で向かい合わせになるMc3車は、Mc1車とTsbc車の流線型スタイルを組み入れつつ従来の車両同様の貫通扉を組み込んだデザインとしている(運転台床面は客室より200mm高い位置)。尚、営業運転時には前頭部に金属製の羽根をあしらった列車名表示板、所謂「ヘッドマーク」を掲示する。

10000系電車正面

冒頭に記した「より快適に」を実現すべく、浮床構造や複層ガラス(外側:5mm厚の熱線吸収磨き硝子/中間:6mm幅の乾燥空気層/内側:5mm厚の透明磨き硝子)を用い、床下からの騒音・振動と断熱に腐心した構造としている。側出入口はM2車・M2´車に片側2箇所、それ以外の車両に片側1箇所、それぞれに幅1000mmの4枚折戸を備えている。
車内設備〜座席は一般客室(Tsbc車以外の各車両)に背摺起こし回転式クロスシートを横2-2列・940mm間隔で、特等客室(Tsbc車の半室)には回転リクライニングシートを横2-1列・1160mm間隔で設置した。便洗面所は各車両に備えている。Tsbc車=クロシなる記号が示す通り、特等食堂合造制御車である。車体中央付近の出入台を境に、1位寄にサロン室と軽食堂(ビュフェ)を、2位寄に定員12名の特等客室を、それぞれ設置している。

10000系電車・クロシ10000

走り装置・主要機器

MMC型多段式主制御器1台で主電動機8個(端子電圧375V・定格出力100kw・定格回転数1650rpm)を直並列制御し、主幹制御器にて力行・抑速制動を指令する方式である。駆動方式は中空軸平行カルダン(歯数比82/17=4.82)で、制動方式は発電制動常用のHSC-Dである。主抵抗器は25〜33‰の急勾配が延々と続く線区における連続運転に対応する為、強制通風式で大型のものを備えている。
台車は軸ばねがペデスタル・ウィングばね式で、枕ばねは上急初採用の空気ばね(揺れ枕装置・ベローズ式)である。基礎制動装置はM車が両抱き式で、Tsbc車のみ車軸装荷のディスクブレーキとしており、勾配線区と中高速走行時における制動力の強化に寄与している。
補機類はM2車とM2´車に電動発電機(70kVA)と電動空気圧縮機(760L/分)を、Tsbc車に電動発電機(40kVA)を、それぞれ備えている。
連結器は廻り子式密着連結器を用いている。Mc3車の先頭部には電気連結器を併設し、分割併合作業の省力化を図った。
冷房装置は分散式で、4500kcal/hのユニットクーラを1両あたり6台(Tsbc車は5台)を、通風器を併設した流線型カバー(所謂キノコ型カバー)に納めた形で、屋根上に取り付けている。

主な改造

1960年代中盤〜1970年代末の間にかけて各部位に改造を施し、延命と使い勝手の向上を図っている。大多数が1970年代に実施したものである。

1960年代実施分

車内の換気能力を向上する為、1964年に各車端部屋根上への排気扇取付工事を実施した。
1967年には関係省庁通達・設置義務に基づきATS(自動列車停止装置)の取付をMc1・Mc3車全てに実施した。

1970年代実施分

沿線の黄害対策の一環として、1971年に便所床下への循環式汚物処理装置の取付を先ず実施した。次いで不具合(特に冬季)が多く保守面に難があった4枚折戸の客用側扉を、1972年に当時の新型特急用車両・13000系と同様の幅700mm・2枚折戸に交換し、幅300mmをステンレス板(表面は塗装)で塞ぎ、幅員を縮小した。同時に先頭車両前頭部側面の塗装パターンに小変化が生じた。
1975年には異常事態発生時に迅速な情報伝達を図る為に、小駅通過列車へ優先した情報網整備の一環として、乗務員室へ列車無線装置を取り付けた。
1977年には従来履いていた台車が起因の乗り心地悪化が顕在化した事への対策と高速走行時の安定性向上を図る為に、台車の交換を実施した。新たな台車は軸ばね支持方式がSミンデン式だが、枕ばねは車体との接合の関係上、交換前の台車と同じく揺れ枕式を採用している。尚、旧台車は630系後期更新型の2000系編入に供出した。
新製から20年近く経過して車体内外の老朽化が目立って来た為、1979年に車体修繕工事を実施した。主な内容として外板の切り継ぎ補修、床部材の取替、屋根絶縁材の取替(屋根布を剥がし、塗屋根化)、配線・配管等の取替、内装を13000系と同様のものへの更新を挙げる事が出来る。

10000系電車・晩年の姿

退役・廃車

長年、上急の旗頭たる存在として君臨し続けて来たが、寄る年波には勝てず、新型特急用車両の就役もあり、1990年頃からは予備・臨時・団体運用への充当が増えた。1994年度内に4両編成・3両編成各1本を残し廃車し、1995年6月のさよなら運転を以て退役し全車廃車と相成った。
最後まで残存した第1編成のうちMc3(クモハ10015)-M2´(モハ10016)-Tsbc(クロシ10017)の3両を静態保存する事となり、Tsbc車のみ(当型式の特徴のひとつであった)4枚折戸の側扉を復元した。川越工場にて保存しており、通常は非公開であるが、同工場の一般公開時にはその姿を眺める事が出来る。